自己紹介

当ブログについて

初めまして!ご覧いただきありがとうございます。
管理人の ruhuna です。

今日はよく知らないLUPICIAのお茶を飲みながら、お送りしています。
「ニルギリ」という種類の紅茶らしい。
これからはこのお茶を飲むたびに、ブログ誕生日である今日という日を思い出すのだろうか。

さて、どうでも話はさておき。

このたび、『人生は、学芸会』をコンセプトに、「好き」と「学び」を発信していく趣味ブログを立ち上げました。

管理人の自己紹介は別記事に譲りますが、ここでは

◆ブログのコンセプト
◆立ち上げの経緯
◆今後の展望について

これらについて書いていきます。お付き合いくださいませ!

ブログのコンセプトについて

先にもお伝えしたとおり、このブログは

『人生は、学芸会』をコンセプトに、「好き」と「学び」を発信していく趣味ブログです。

ブログを立ち上げた2024年1月現在、読者の手助けになる記事を書こうとか、有益な情報をシェアしようとか、アフィリエイトでお小遣い稼ぎをしようとか、そういう野望は一切持っていません。(ちょっぴり嘘!「あわよくば」程度の欲はあります)

ただただ、自分のための「アウトプットに特化したプラットフォームが欲しい」という思いで立ち上げました。

キラーフレーズに出会い、新ブログ設立

人生迷子の、30代。
虚弱体質で疲れやすく、話すことが苦手で仕事の効率もイマイチ。
その余波を受けて常に気忙しく、プライベートも楽しみ切れない自分がいる…。

そんなとき出会ったのが、いしかわゆきさん著『ポンコツなわたしで、生きていく。 〜ゆるふわ思考で、ほどよく働きほどよく暮らす』(技術評論社)

「ポンコツ」というワードは、私にぴったりとハマりました。
すぐさま電子書籍をダウンロードし、2日間で読了。
その中で、響いた言葉が…

永遠の17歳…好き…!
しかし、本文中でご本人もおっしゃっていますが、確かに一定の「痛さ」がある…!笑
中学生のとき、自分のことを「永遠の25歳」と紹介する女性の先生がいました。
そのさらに上(下)を行く「永遠の17歳」?

何らかの羞恥心がくすぐられる…怖気づく…。でも…良いかも……!

永遠の16歳として生きてみよう

私の年齢は、33歳。(2024年1月現在)
幸せなことに私は人に恵まれ続ける人生を送っていますが、いろいろな面で劣等感を抱いています。

キャリア。人間関係。生活力。恋愛・結婚。家族…
これらの分野=つまりは人生全般で、経験値が年齢に追いついていない。

自分に足りないものを見ては、過ぎ去った年月を嘆き、無力感を募らせる毎日を送っています。

そんな私の「諦め」をぶち破ってくれたのが、先ほどの『年齢が気になるのなら 「永遠の17歳」で生きればいい』というキラーフレーズでした。

自分のセブンティーン時代を思い出すと、確かに無敵でした。
行動さえ起こせばなんでもできる気がしたから、「好き」「やりたい」に真っすぐだった。
肉体は軽くて、ゆく先々での新しい出会いはイコール高揚感でしかなかった。
そう、怖いものなしだった。

よーし。私も、心は「永遠の〇〇歳」として生きてみようか。

でも…17歳って高校2年生かー。
大学受験を意識して、すでに進路をほぼ固めないといけない時期だったよなぁ。
もっと自由な年齢がいい。

キリよく15歳…だと、中学3年生。
義務教育中は先生や両親の意見を聞かなければならず、ちょっと窮屈。

かくして、ここに『精神年齢=永遠の16歳』が爆誕しました。

もともと私は「生涯、年齢不詳」を人生の目標にしていたので、するっと馴染みました。
ピッタリのスローガンがひとつ増えました。
痛いって言わないで!

「書く」のは好きで、得意なんです

私の毎日には、インプットも足りていないのですが、圧倒的にアウトプットが弱点になっていると感じていて。
さらに言えば、「アウトプット(話す、書く)への苦手意識」が「インプット(読む、聞く)」を遠ざけている、と分析しています。

アウトプットを克服しないことには、このどん詰まりを抜け出せないような気がする…

そんな意識を持ちながら、苦手な仕事で小忙しない日々を送る中、たまたま、テキストのやり取りを褒められる機会が重なりました。

「LINEの文章が面白いね」といった些細なことを、1人ではなく、数名に。
それぞれの親密度はまばらなので、ひいき目だけではないと思います。

そして、私は内心「やっぱりそうですか…?」と思いました。(何様でしょうか)

昔から、「面白い」という方向性で、なぜか文章を褒められてきました。
学生時代、mixiやFacebook、X(当時のTwitter)で日々の出来事を駄文にするのが好きで、親しい友達からですが、「おもろい」「文才があるw」とコメントをもらえることが少なくなく。

就職を意識するにつれ「意味があること」「学んだことをかっこよく」に意識を囚われるようになり、次第に駄文の更新頻度は減り、ついには更新することもなくなってしまいましたが…

そういえば、そうです。
「有意義・ためになる」を意識しなければ、私は生来、書くアウトプットは好きで、得意でした。

対面でしゃべるのは苦手だけど、なぜか文章は褒められてきた。
今も褒められるかどうかはわからないけど、あの頃、私は間違いなく、楽しめていた。

じゃ、もう一回書いてみようか!なんでもいいから!

そこからは、早かった。
「じゃあブログ立ち上げよ!」「がっつり作り込もう!」と。

仕事終わりに家のPCでレンタルサーバーを申し込み、ドメインを取得し。
その翌々日に、この記事を書いています。

『大人の学芸会』、はじめます

次に、「学芸会」というブログタイトルについて。
先述の本を読んでいる最中に降りてきたものを、少しこねくり回して決定したネーミングです。

漠然と「自分の名前で〇〇する」が目標だったこともあって、「ほたるの〇〇」といういわゆる「冠ブログ」の設立を目論見ました。恥ずかしげもなく…(ちょっと恥ずかしいよ)

さて、〇〇に入るタイトル。どうしようか……
毎日が学びならば、発表会みたいなことを気軽にできる場にしたいな。

「学習発表会」?ちょっとお堅いんだよね。
学習って、いかにも今後の人生に有益な学びを発表しなければならない感があるし。
学校が苦手だった小学生のとき、学習発表会ってあんまり好きじゃなかったし。

じゃあ、言い換えて「学芸会」…おぉ、いいかも!
学習発表会と同義だけど、学芸会は経験したことがない。
「芸」という字も、良いじゃないか。
いわゆる「勉強」から脱線して良いよ!むしろ脱線していこうぜ!と言われているような寛容さがある。

音楽やダンスを披露するもよし、パワポで発表する学会の真似事をするもよし。
「なんでもござれ」感が最高だ!

かくして、精神年齢16歳(実年齢=超成人)の『学芸会』が開幕する運びとなりました。

現実世界では、高1で学芸会はやらないのですけれど。
ここは自由にいきましょう。

今後の展望は?

なーんにもありません!!

「アウトプットの練習場所」という認識なので、完全なる趣味ブログ・自己満足ブログになる予定です。
サイトを好きにデザインして、好きなこと・楽しいことを書いて、自分を励ましていきます。

展望はないけれど、目的はあります。
ブログを書くことで、伝える力を学び直したい。
感じたこと・知っていることを、誰かに正確に伝えられる自分になりたいです。

人が「〇〇したい」と願うとき、それは「〇〇すること」自体を求めているのではなく、「その先に待っている感情や状態」を切望しているのだと言います。

私は「伝える力を学び直す」という行為の先に何を期待しているのでしょうか。
それは、今の漠然とした不安に包まれた毎日を卒業して、「うれしい・たのしい・だいすき」に満ちた優しい人生を歩むこと。

ふわっと得体のしれない状態というのは、不安なもの。
言語化すれば、よくわからない物事に輪郭ができる。対処方法がわかる。

自分に関わるあらゆることに対して、「一目瞭然」な状態を作り上げていきたいのです。

書くフィールドを自分で開拓していくという作業は、自分のお城づくりを整地から建設まで一挙に担うようなワクワク感がありますね!

拙いブログになるとは思いますが、『ほたるさんの学芸会』、何卒宜しくお願いいたします。